RallyNippon台湾一周ラリー 奮戦記
- AMAZONとクラシックイベント
- by suna
- 2013/12/05 木 13:55
11月16日(土)に横浜・大黒埠頭の保税倉庫からコンテナに2台づつ格納船積された「・122」Amazonを含む60台余りのクラシックカーは、11月26日(火)台湾・台北の保税倉庫で我々の到着引取りを待っていました。外交関係の無い国でのラリー走行ですから、我々ドライバーはJAFで免許証の中文翻訳証「日本駕照中文翻譯」を取得し、「・122」Amazonは、特別申請の臨時ナンバープレート「臨G03952」を発行してもらいました。ゼッケンは43番。
そして、11月28日(木)午前8時にホテルを出発してスタート地点の台湾・総統府前広場へ。生憎の小雨模様でしたが、広大な広場には、普段見ることの出来ないクラシックカーを見ようとたくさんの人々が待ち受けていました。台湾では車検規定が現代車を基準に適用されているために、クラシックカーの車検取得は難しく、当然街中では見ることが出来ません。その台湾に日本から60台余りのクラシックカーが集結したのですから、平日にも関わらず大勢の人々が集まりました。
午前10時。ゼッケン1番の1927年BUGATTI T35Bから10台の戦前車に続き年代順に61台のクラシックカーが次々とスタートを切り、台湾を反時計回りに4日間で一周する1300km余りのラリーへと旅立ちました。Day1は台北から台湾西側を南下し、台中の景勝地「日月潭」への200Km弱。台北からの高速道路は、素晴らしく完備されていて、当然ETCも当たり前。しかし、我々は、臨時ナンバーの台湾未登録車なのでETCは装着出来ずに現金と回数券でゲートを通過。この間に、2か所の3連続計6PCの「線踏み」が設定され、1/100秒計時が行われました。
どこのPCも人垣を掻き分けるようにPCにたどり着くのですが、かつて経験したことのないような”熱烈歓迎”に私の「線踏み」も翻弄されて、初日からイマイチ・・。幻想的な湖畔に佇む有名なデザイン・ホテル「THE LALU」に癒されて、夜は更けて行きました。
Day2は「THE LALU」を朝8時にスタートし、台湾・南端の高雄を目指します。Day2も2か所の3連続計6PCが設定されましたが、「高雄世貿展覧中心」前広場では、高雄市長が出席する歓迎ランチ。ここでも大観衆がクラシックカーの集結を待ちわびていました。今回のRallyNippon台湾一周ラリーには、石川県のTさんも白いストライプが鮮やかな「・122」Amazonで参加をしているので、2台の「・122」Amazonが一緒に走る場面も多く、観衆へのインパクトは充分!熱心なファンのサイン攻めにもあいました。
そして、Day2の締めくくりは、台湾で唯一のFIA公認サーキット「大鵬湾国際賓車場」(Penbay International Circuit:PIC)での3連続「線踏み」PC。30mを7秒、20mを4秒、そして、1周3.517kmのコースを2周して600秒で1/100秒を競うという設定。コース自体は、旧日本軍の最南端航空基地跡を利用しているのでフラットながらも複合コーナーがいくつも連続するテクニカルコース。しかし、全体スケジュールが遅れたこともあり、ゼッケン43番の「・122」Amazonが走る頃には夕闇で真っ暗。コース照明も全く無い中、旧いマーシャル(通称デベソのバルブ球)のスポットライトを頼りに走りました。
Day3は、PICサーキットホテルを午前8時にスタートして台湾東海岸を北上です。今回のラリー最長350Km余りをひたすら走るコースに2か所の3連続計6PCが待ち受けていましたが、どうも、毎日、出だしのPC処理が上手く行かずに苦戦。当初の”野望”が遠ざかってしまいました。Day3は、花蓮の港にも近いホテルにゴール。翌朝、ラリー最終日12月1日(日)Day4のフェリー乗船に備えました。本来は花蓮から陸路で北上し台北市内の最終ゴールを目指す予定でしたが、先日の大型台風で道路が寸断され、急遽、フェリーに乗船、台北まで140km地点まで移動することになりました。
大型フェリーはかつて東日本フェリーが青森航路などで運航していた「なっちゃん号」。1時間半の船旅は快適そのもの。その後の台北までの140Kmは、伊豆半島にも似た美しい海岸線を走り、湘南のビーチラインを走るような気持ちの良いドライブで、ゴールを目指しました。ところが、快晴の日曜日の夕方とあって、案の定、日が暮れると共に台北へと戻る車のテールランプの長い列が、真鶴道路の渋滞のように海岸線のはるか彼方へと続く列へと並ばざるをえなくなってしまいました。
本来の台北市内「中世紀念堂」へのゴールは午後4時半となっていましたが、この夕闇迫る渋滞に呑み込まれたのが午後4時半。「・122」Amazonの前後には戦前車も何台かいましたが、さすがに6Vの古い車には、苦痛以外の何物でもなかったと思います。その後も真っ暗になった渋滞を耐えて、台北市内の混雑を抜けて「中正紀念堂」に到達したのは、なんと午後7時過ぎ。
3時間もゴールが遅れたにも関わらず、「自由廣場」には、驚くばかりの人々が集まっており、まさに”熱烈歓迎”の極致。ところが、リージェントホテルへ移動してのFinalPartyが本来7時半開始なので、ゴールをすると、どの出場車も大急ぎでホテルを目指したのでした。
慌ただしくシャワーを浴びて、“貸衣装”のタキシードに着替えてFinalPartyが始まったのは午後9時過ぎ。こうしてアタフタと4日間のRallyNippon台湾一周ラリーは幕を閉じました。
で、成績ですが、「上の下」というところで、上位の常連ベテランの方々に、何とか食い込もうという”野望”は、またまた果たせぬ夢となってしまいました。
でも諦めません。ゴールの翌日、コ・ドライバーを頑張ってくれたTさんと共に”願いを叶える”ために“十扮”とう山間の街まで「天燈上げ」に行ってきました。もちろん願を込めて書いたのは「古董車�荊力賓 勝利!!」。空高く飛んで行きましたが・・・果たして。
これで、今年の「・122」Amazonのクラシックカーラリー出場は終わりました。12月13日(金)に横浜・大黒埠頭に帰って来る「・122」Amazonと共に15日(日)は、TACC(東京有明カークラブ)の年末伊豆ツーリングに参加する予定です。
そして、11月28日(木)午前8時にホテルを出発してスタート地点の台湾・総統府前広場へ。生憎の小雨模様でしたが、広大な広場には、普段見ることの出来ないクラシックカーを見ようとたくさんの人々が待ち受けていました。台湾では車検規定が現代車を基準に適用されているために、クラシックカーの車検取得は難しく、当然街中では見ることが出来ません。その台湾に日本から60台余りのクラシックカーが集結したのですから、平日にも関わらず大勢の人々が集まりました。
午前10時。ゼッケン1番の1927年BUGATTI T35Bから10台の戦前車に続き年代順に61台のクラシックカーが次々とスタートを切り、台湾を反時計回りに4日間で一周する1300km余りのラリーへと旅立ちました。Day1は台北から台湾西側を南下し、台中の景勝地「日月潭」への200Km弱。台北からの高速道路は、素晴らしく完備されていて、当然ETCも当たり前。しかし、我々は、臨時ナンバーの台湾未登録車なのでETCは装着出来ずに現金と回数券でゲートを通過。この間に、2か所の3連続計6PCの「線踏み」が設定され、1/100秒計時が行われました。
どこのPCも人垣を掻き分けるようにPCにたどり着くのですが、かつて経験したことのないような”熱烈歓迎”に私の「線踏み」も翻弄されて、初日からイマイチ・・。幻想的な湖畔に佇む有名なデザイン・ホテル「THE LALU」に癒されて、夜は更けて行きました。
Day2は「THE LALU」を朝8時にスタートし、台湾・南端の高雄を目指します。Day2も2か所の3連続計6PCが設定されましたが、「高雄世貿展覧中心」前広場では、高雄市長が出席する歓迎ランチ。ここでも大観衆がクラシックカーの集結を待ちわびていました。今回のRallyNippon台湾一周ラリーには、石川県のTさんも白いストライプが鮮やかな「・122」Amazonで参加をしているので、2台の「・122」Amazonが一緒に走る場面も多く、観衆へのインパクトは充分!熱心なファンのサイン攻めにもあいました。
そして、Day2の締めくくりは、台湾で唯一のFIA公認サーキット「大鵬湾国際賓車場」(Penbay International Circuit:PIC)での3連続「線踏み」PC。30mを7秒、20mを4秒、そして、1周3.517kmのコースを2周して600秒で1/100秒を競うという設定。コース自体は、旧日本軍の最南端航空基地跡を利用しているのでフラットながらも複合コーナーがいくつも連続するテクニカルコース。しかし、全体スケジュールが遅れたこともあり、ゼッケン43番の「・122」Amazonが走る頃には夕闇で真っ暗。コース照明も全く無い中、旧いマーシャル(通称デベソのバルブ球)のスポットライトを頼りに走りました。
Day3は、PICサーキットホテルを午前8時にスタートして台湾東海岸を北上です。今回のラリー最長350Km余りをひたすら走るコースに2か所の3連続計6PCが待ち受けていましたが、どうも、毎日、出だしのPC処理が上手く行かずに苦戦。当初の”野望”が遠ざかってしまいました。Day3は、花蓮の港にも近いホテルにゴール。翌朝、ラリー最終日12月1日(日)Day4のフェリー乗船に備えました。本来は花蓮から陸路で北上し台北市内の最終ゴールを目指す予定でしたが、先日の大型台風で道路が寸断され、急遽、フェリーに乗船、台北まで140km地点まで移動することになりました。
大型フェリーはかつて東日本フェリーが青森航路などで運航していた「なっちゃん号」。1時間半の船旅は快適そのもの。その後の台北までの140Kmは、伊豆半島にも似た美しい海岸線を走り、湘南のビーチラインを走るような気持ちの良いドライブで、ゴールを目指しました。ところが、快晴の日曜日の夕方とあって、案の定、日が暮れると共に台北へと戻る車のテールランプの長い列が、真鶴道路の渋滞のように海岸線のはるか彼方へと続く列へと並ばざるをえなくなってしまいました。
本来の台北市内「中世紀念堂」へのゴールは午後4時半となっていましたが、この夕闇迫る渋滞に呑み込まれたのが午後4時半。「・122」Amazonの前後には戦前車も何台かいましたが、さすがに6Vの古い車には、苦痛以外の何物でもなかったと思います。その後も真っ暗になった渋滞を耐えて、台北市内の混雑を抜けて「中正紀念堂」に到達したのは、なんと午後7時過ぎ。
3時間もゴールが遅れたにも関わらず、「自由廣場」には、驚くばかりの人々が集まっており、まさに”熱烈歓迎”の極致。ところが、リージェントホテルへ移動してのFinalPartyが本来7時半開始なので、ゴールをすると、どの出場車も大急ぎでホテルを目指したのでした。
慌ただしくシャワーを浴びて、“貸衣装”のタキシードに着替えてFinalPartyが始まったのは午後9時過ぎ。こうしてアタフタと4日間のRallyNippon台湾一周ラリーは幕を閉じました。
で、成績ですが、「上の下」というところで、上位の常連ベテランの方々に、何とか食い込もうという”野望”は、またまた果たせぬ夢となってしまいました。
でも諦めません。ゴールの翌日、コ・ドライバーを頑張ってくれたTさんと共に”願いを叶える”ために“十扮”とう山間の街まで「天燈上げ」に行ってきました。もちろん願を込めて書いたのは「古董車�荊力賓 勝利!!」。空高く飛んで行きましたが・・・果たして。
これで、今年の「・122」Amazonのクラシックカーラリー出場は終わりました。12月13日(金)に横浜・大黒埠頭に帰って来る「・122」Amazonと共に15日(日)は、TACC(東京有明カークラブ)の年末伊豆ツーリングに参加する予定です。
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