AMAZON Life by SUNA

「AMAZON OWNERS CLUB」時代から30年余り。
再び AMAZONとのカーライフを楽しむこととなったSUNAと仲間達の日々。
40年、50年、そして60年へとVOLVO AMAZONと共に辿るTime Trip。

     Amazonツーリング「高山/白川郷」

4月18日(土)、19日(日)の両日、恒例Amazon春のツーリング「高山/白川郷」が行われました。今回の参加車はPV544が2台、Amazonが9台、144が1台の合計12台。中央自動車道、長野自動車道で、次々と合流して来た参加車は、午前11時には長野自動車道「塩尻IC」を下りて、旧中山道の宿場町「奈良井宿」に集結しました。風情溢れる旧中山道の宿場街道を、ゆっくりと列をなして走る旧い車列に、道行く観光客もカメラを向けて歓迎してくれました。ただ、この”ミニ・パレード”でハプニング。PV544の1台がストップ。6V仕様の仲間で一番の老兵がまったくエンジンが掛からなくなってしまいました。観光客が見守る中、寄ってたかって原因を究明。基本的にPV544もAmazonも機構的には変わりがないことから、デスビ周りと、電気系の不具合と判明。何でも修理パーツをトランクに満載している、名古屋から参加のGさんの”赤”Amazonがクイックアシスタントよろしく、あっという間に修理回復。ツーリングを続行することが出来ました。その後は、高山のホテルを目指して、ちょうど満開となった桜を眺めながらの快適なツーリング。午後3時過ぎの高山到着時には、ホテルに石川県、岐阜県、静岡県から参加の3台のAmazonも待ち受けて、夜の宴会は、Volvo談義で盛り上がりました。楽しいお酒と温泉にゆっく浸かり、翌朝は、早起きして「高山の朝市」を散策。全車全員の集合写真を撮ってから、一路、白川郷を目指しました。白川郷へ近づくと周囲の山々は雪に覆われ、路肩にも雪が残っています。生憎、雨も降り出し、さらには、日曜日の昼間は、白川郷へは「一般車乗り入れ禁止」が発覚。仕方なく公営駐車場に車を止めて、徒歩での散策となってしまいました。噂には聞いていましたが、大陸からの観光客の多さに圧倒されて、早々に退散。昼前には駐車場でツーリング仲間は解散。私を含め、自由人の5台は、東京への帰路に平湯温泉で、もう1泊して帰京しました。今回のツーリングでは、4か月前にAmazonを入手して新たにツーリングに仲間入りした方の車が、やはり今回のツーリングに初めて144で参加された方が以前その車のオーナーだったことが判明。そんなAmazonならではのエピソードにも沸いた楽しいツーリングとなりました。
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  「Legend of THE RALLY」 3年連続出場

11月7日(金)8日(土)の2日間「Legend of THE RALLY」に「・122」Amazonと共に参戦しました。前泊は、その昔「百恵さんのペンション」、今は学生時代から一緒にラリーを戦って来た篠塚建次郎がオーナーの「VERDURA」。3年連続出場となったこのラリーは、かつて海外ラリーや伝説ともなっている「日本アルペンラリー」などの国内ビッグラリーで活躍したドライバー/コ・ドライバー(ナビゲーター)が1年に1度集う、いわば「ラリードライバーの同窓会」です。「日本アルペンラリー」では、激戦の火花を散らした日本アルプスを中心とした峠を舞台(今はほとんどが舗装されていますが・・・)に、往年の名ドライバーが、当時の旧いラリーカーで参戦します。初回はたった28台だった出場車も回を重ねるごとに増えて、今年の出場車は40台。懐かしい顔と懐かしいラリーカーが、ずらりと並びました。とはいえ、外車は、Route66も一緒に走破した仮屋さんのAustin Miniと「・122」Amazonそして、新たに加わった1995年サファリラリー優勝の藤本さんが駆るFordEscort(A・バタネンが実戦で戦ったワークスマシンそのもの)、私と1983年サファリラリーで5位争いをした岩瀬さんLanciaDeltaの4台。今年の「Legend of THE RALLY」は、例年通り、JAF公認準国内ラリー競技として、八ヶ岳山麓の清里を起点として、山梨、長野、群馬3県の約350Kmで競われました。今年のコースには、信州峠、馬越峠、栗生峠、ぶどう峠、十国峠そして、スポーツランド山梨でのサーキット走行、18Kmものダート(未舗装)林道の秒計測ステージ、林道茂来線も待ち受けていました。参加車は、みんな旧いとはいえバリバリのラリーカーばかりですから、参加車で一番古いノーマルの「・122」Amazonにとっては、例年になく厳しいラリーになりました。とにかく壊さない、パンクをさせないことを念頭に、”労わりながら”全開で頑張りました。そして、何とか全コースをクリア。諦めかけていた表彰式のパーティでは、意外にもLegendクラス13台中の6位に入賞。さらには、一番古い外車での3回連続出場で特別賞も頂きました。特別賞は、「Legend of THE RALLY」の大会会長で「日本アルペンラリー」のコース委員長でもあり、私が先行車のドライバーをお手伝いした渋谷さんから授与されました。感謝、感激です。80歳を越えられた渋谷さんにお会いするためにも、その昔激戦を繰り広げたラリー仲間と温泉につかり、夜を徹して杯を交わし昔話に花を咲かすためにも、来年も出場出来るように頑張ります。来年の出場車は真紅のPV544・・・かな。
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    PV544が日本に到着しました

8月末から9月中旬まで、”Old”Route66をシカゴからLAまで5300Km余りを走破したVolvoPV544が、日本に到着しました。雨漏れが心配なので20Feetのコンテナに収めて船に搭載して来ましたが、横浜本牧港に陸揚げされてから、輸入手続きは、すべて自分で行ってみました。横浜税関で書類を作成し、税金を算出し納税するまで、完全「個人輸入」をしたのですが、2時間半ほどで、無事に通関し、いつもクラシックカーラリーの伴走積載車でお世話になっている「クレヨンオートサービス」さんにお願いし東京・中野の東光自動車整備工場に運び込みました。折から、今週末の「Legend of THE RALLY」に出場するため、ラリー前の点検整備をしている「・122」Amazonと、「Alpen Classic Rally」出場へとチューナップと整備をしているOさんの「・123」AmazonGT、そして、日本での車検取得と登録のための整備に入るPV544の3台が工場内のリフトに並ぶこととなりました。まるで、旧いVOLVOの専門工場のような雰囲気です。CG(カーグラフィック)誌の「66歳のRoute66」紀行連載も2回目が掲載されました。まだ、シカゴを、やっとスタートし、第1日目までのレポートですが、3回目、4回目と連載が続くにつれて、悪戦苦闘のPV544との20日間がご覧いただけます。さあ、明日から八ヶ岳へ行き、「Legend of THE RALLY」を「・122」Amazonと共に戦います。国内外のラリーを戦ってきたレジェンドドライバーとコ・ドラバー(ナビゲーター)が往年の「日本アルペンラリー」で熾烈な戦いを繰り広げた峠を舞台に、旧い車で”同窓会”をやろうと始まったイベントですが、3回目を迎えるエントリーリストには、錚々たる懐かしい名前と共に40台もの旧いラリーカーが並んでいます。外車は、3年連続出場の「・122」AmazonとMiniに加えて、A・バタネンが駆ったフォード・エスコートとランチアが加わっています。でも、「・122」Amazonは、40台の参加車の中で最高齢車です。今年は16Kmのグラベル(未舗装)ステージもあるとのことです。気を付けて頑張ります!!
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     AMAZON/PV544秋のツーリング日光から南会津

10月18日(土)と20日(日)の両日、AMAZON/PV544の仲間で、日光から南会津の「ダーナラ」まで秋のツーリングを楽しみました。2週続いた台風の週末とは打って変わり、秋晴れの快晴に恵まれ、新たに仲間となった珍しい121(シングルキャブ仕様)も加え、AMAZONが6台、PV544が2台の合計8台が集まりました。遠くは名古屋と石川県からの遠征組も加え、関越自動車道の沼田ICで全車が合流。紅葉の始まった美しい山間を走り抜け、中禅寺湖から日光へ。明治の雰囲気の「山のレストラン」で滝を眺めながらランチを楽しみ、2年ぶりとなるスウェーデン料理のオーベルジュ「ゲストハウス・ダーナラ」を目指しました。PV544と、珍しいPVのワゴン”DUET”のオーナーでもあるオーナーシェフが、日曜日にスウェーデン大使館での170名ものパーティを控えているにも拘わらず歓待してくれました。お目当ての、北欧でもこの季節しか食せない”ザリガニ”と”アクアヴィット”を堪能し、美味しいスウェーデン料理とワインでAMAZON/PV544談義。蔵を改築した居間の囲炉裏を囲んで、楽しい夜は更けていきました。さすがに、山は秋というか冬の気配が濃くなり、朝は、AMAZONにも真っ白な霜が降りていました。それでも、夜明けと共に秋晴れの暖かい日曜日となり、紅葉渋滞を避けるべく、日帰り温泉で朝風呂を浴びて、十割蕎麦を満喫したAMAZON/PV544軍団は、お昼には早々に解散。各車夕方には、無事に帰還しました。
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   「66歳のRoute66」紀行のCG誌連載が始まりました

「66歳のRoute66」PV544紀行が、CG(カーグラフィック)誌の10月1日発売号から連載がスタートしました。是非ご覧ください。
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   「66歳のRoiute66」の模様は、FaceBookとCG誌でご覧ください

「66歳のRoute66」PV544紀行は、8月27日のシカゴスタートから9月14日のLAサンタモニカへのゴールまで、毎日FaceBookに紀行レポートをアップ致しましす。また、10月1日発売のCG(カーグラフィック)誌から、連載で掲載されますので、興味のある方は、是非ご覧ください。
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   涙の追い討ち・・と時間の勝負!

PV544を”Eric”の工場にドック入りさせたのが先週の火曜日。すでに12日間が経ってしまいました。その間、毎日工場で”Eric”と問題部品の調達に明け暮れていました。とくに、一番問題となったのは、4輪のドラムブレーキです。「・122」Amazonの整備、修復でも部品のオーダーをしているスウェーデンのクラシックVolvoと純正パーツの専門ショップCVIにもPV544用のブレーキドラムの在庫が無く、世界各国のショップをネット検索しましたが、すぐに手配出来るものは見つかりません。もちろん、重量の重い部品ですから、運送費も考えるとアメリカにあれば、それに越したことはありません。しかし、アメリカのクラシックVolvoのパーツ専門ショップIPDにも在庫は見つかりませんでした。とにかくブレーキドラムが無ければ走れませんので、必死に探しました。そして”Eric”の同業で東海岸のクラシックVolvoの整備屋がストックしていることを突き止め、やっと先週オーダーに漕ぎ着けたのです。これで難題は解決かと思いきや、実は、さらに涙の事件が発生しました。”Eric”の工場には、AmazonからP1800、エステートまで、次から次へとクラシックVolvoの整備が入って来るのです。一応、予約をしてPV544の居場所は確保していたのですが、なにしろ大整備となってしまい、部品が届くまで整備に入れないとのことで、遂に、炎天下の工場屋外に出されてしまいました。そして、翌日工場に行ってみると、PV544の下にはガソリンの漏れた跡が・・・。そうです、ガソリンメーターが動かないので正しくは分かりませんが、ほぼ満タンのガソリンが漏れ出してしまったのです。写真の通り、PV544をとめた場所が給油口側に傾斜しており、炎天下でガソリンが膨張、タンクのエア抜きも機能していなかったようで噴き出したということです。挙句に、ガソリン漏れを炎天下で放置したことで、給油口下のモールに溜まったガソリンがボディペイントを見事に剥がしてしまいました。せっかく、とても綺麗なボディに惚れ込んだのですが、落胆するやら悔しいやら・・・涙、涙の追い討ちとなってしまいました。仕方なくカー用品屋でタッチアップペイントを買って来て、リペアを試みていますが、何ともなりません。ということで、悪戦苦闘の整備ですが、帰国までの日数も迫り、来週には少なくとも1000Mile(1600Km)くらいは、テストドライブをして問題点修復の再確認と洗い出しをして、再整備の指示とシカゴへの搬送手配をせねばなりません。部品もほとんどが揃いましたので、この週末は土日を返上して、全開で”Eric”と共に、私も手伝えるところは手伝い、何とか週明けには走れるまでに仕上げる覚悟です。
とはいえ、土曜日の今日は、エンジンもキャブレターも、このような状態なのですが・・・トホホ。
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   外見では分からない大整備で・・涙!!

90Mile(144Km)を、なだめすかして、TorranceのクラシックVolvo専門工場に運び込み、たった一人で切り盛りする”Volvoマイスター”と評判の”Eric”の徹底点検を受けました。約2時間の工場までの移送で、オイルプレッシャーランプは点灯するし、ガソリンメーターは作動せず、クラッチの遊び異常やステアリングセンターの狂い、さらには、4輪ドラムブレーキにしても、とにかく不安定・・・など、いくつかの不具合は体感していました。”Eric”の診断は、とても的確でしたが、次々と問題点が指摘されました。その中でも、驚愕せざるを得なかったのが、4輪ドラムブレーキの取り付け方法が規定通りでは無く、あるブレーキは、上下逆に取り付けられていました。この影響もあるのでしょうが、何と4輪ドラムブレーキの内、2輪は、ドラムが欠損しており、他のドラムも限界まですり減って、ヒビ割れが起きていました。もちろん、Route66を2600Mile(4160Km)以上も、この古いPV544で走ろうというのですから、特に安全性への整備は徹底せねばなりません。エンジンも音自体は静かなのですが、アイドリング時の揺れが激しく、これも、SUキャブレターの問題とエンジンの不具合と判定。結局、シリンダーの排気機能を回復させるためにカムシャフトの交換も余儀なくされることとなりました。そんなこんなで、ブレーキを含む足回りは全て分解整備。エンジンもキャブもカムシャフト交換を含めた大整備となってしまいました。ボディ外観もエンジンルームも、下回り塗装も・・・とても綺麗で、前後サスペンションはすべて純正新品、マフラーもバンパーも純正新品だっただけに、まさに、古い車は「外観だけでは分からない」ということを、「・122」Amazonに続き、またしても体感することになり、涙、涙です。そして、もっと、涙の追い討ちをかけられることになったのですが、それは、次回にご報告させていただきます。
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   PV544を名義変更して引き取り

前オーナーのBさんから、愛車PV544を引き取る日がやって来ました。まずは、2種類の書類を用意します。「Bill of Sale」と呼ばれているDMV(Department of Motor Vehicle=陸運局)が発行するVehicle/Vessel Transfer and Reassignment Formが必要でした。新たに名義変更するために必要な書類です。Sellerの部分に、売り手のBさんの名前、住所、サイン、運転免許証ナンバーを記入し、さらに、責任移転を明確にするためにOdometerの部分に走行距離を記入します。もう1枚は”Pinc Slip”と呼ばれる日本の車検証にあたるもので、アメリカでは通常車内に携行せずに家等に保管しておくそうです。これには、過去の所有者が明記されており、Bさんのサインをもらい、走行距離を明記して譲渡してもらいました。この2枚の書類と登録料を持って各市町にあるAAA(アメリカン・オートモビル・アソシエーション=アメリカ自動車連盟。JAFと同等)で、強制保険加入と共に、手続きを終えれば名義変更は完了です。すべてを含めても30分ほどで済みました。ということで、晴れて入手出来たPV544ですが、オイルゲージをチェックしたら、まっ黒!およそ90Mile(144Km)ほどフリーウェイを走って、工場まで運ぶので、まずは、オイルエレメントとオイル交換。ここでも、早速、オイル交換係りのお兄さんが写真撮影をしていました。で、颯爽とフリーウェイを走り出したのですが、30分も走らずに、オイルプレッシャー警告灯が点滅。慌ててフリーウェイを下りて点検しましたが異常なし。この先の不安を感じながらも、なだめすかして、60Mile/h(96Km/h)以下を守りながら・・・フリーウェイは、流れが速く、この速度でも超大型トレーラーに追い上げられるは、ブチ抜かれるはで、一瞬も気を抜けず、手に汗握り・・・何とか工場のあるTorranceに辿り着きました。案の定、工場での徹底点検では、いろいろと大変なことになるのですが、次回にご報告します。
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   ”Route66”プロジェクトが発進しました!!

ブログは、ちょっとご無沙汰していました。ル・マン24時間レースの対応をしており、長期間日本を留守にしたもので・・・。ということで、WEC(世界耐久選手権)の長い夏休みを利用して、念願の”Route66”プロジェクトが発進しました。
この”Route66”プロジェクトは、私が、かねてから、66歳になったら、絶対に実行する・・と決めていました。ただ、当初は、台湾一周ラリーに「・122」Amazonをカルネ(一時海外持ち出し免税協定)で運んだように、アメリカへもカルネでAmazonを運ぶ計画でした。しかし、9.11テロ事件以降、アメリカは、個人車のカルネ持ち込みを厳しく制限していました。数度にわたりアメリカ大使館と交渉しましたが不可能でした。そこで、残る手段は、アメリカで車を探し、購入し、名義変更をしてRoute66を走破するしかありません。アメリカの中古車売買のネットや、個人売買情報などを、片っ端からチェック。基本はAmazonを考えていたのですが、探しているうちに、どうせなら、もっと古いPV544が照準となりました。これは、”Route66”を走破して、もし、その車が気に入ってしまい、日本へ持ち帰りたくなった時に、同じAmazonを2台所有しても・・・という気持ちの表れでもありました。”Route66”は、TV映画や、歌で、我々終戦っ子には、「憧れのアメリカ」の象徴であり、いまだに夢を掻き立てる存在です。1926年に、アメリカ初の大陸横断道路として開通し、「夢と希望」を達成するために、アメリカ大陸を西海岸へと人々が移動した「アメリカを代表する」”マザーロード”とも呼ばれています。
シカゴからロサンゼルスのサンタモニカまで、約2600Mile(約4200Km)の”Route66”は、イリノイ州、ミズーリ州、カンサス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を経て、カリフォルニア州のロサンゼルスへと続きます。しかし、88年の時を経て、アメリカの大動脈だった”Route66”も時代の流れと共に、刻々と新しい幹線道路とフリーウェイに、その役割を託すこととなり、それに伴い、沿道の街も、人々の生活も大きく様相を変えて来ました。とはいえ、”Route66”を愛してやまない人々もたくさんいます。その人々が、今、”Route66”を現代に残し、甦らそうとしています。そんな「マザーロード」”Route66”の”繁栄”と”淘汰”そして”郷愁からの甦り”を、VolvoPV544と共に、つぶさに見て、体感してこよう・・・というのが66歳を機に実行する”Route66”プロジェクトです。実施期間は、8月27日(水)にシカゴをスタートして、極力もっとも古い”Route66”を辿り、9月14日(日)にロサンゼルス・サンタモニカにゴールする予定です。
ということで、PV544探しと、入手、名義変更、点検、整備、そして、シカゴへの搬送手配などのために、ル・マン24時間レースの対応から帰国してすぐに、アメリカ西海岸ロサンゼルスに来ています。すでに、興味のあるPV544は3台に絞り込んで、古い車だけに、経歴とコンディションを把握するために、すべて個人オーナーと直接交渉をしました。そして、入手に至ったのが、この1963年式PV544です。オーナーは、ロサンゼルスから1時間半ほどの郊外に住むBさん。レストア済のPV544をフロリダから購入。15年間乗って来たものの、2人の子供のためにSUVを購入することになり、やむなく手離すことにしたそうです。3台の候補車の中で、もっとも外装、内装、エンジン等が綺麗だったことが選択理由でした。さらにカリフォルニア州独自の「HISTORICAL VEHICLE」ナンバー登録をしていることも魅力でした。この「HISTORICAL VEHICLE」登録は、きちんと整備をして、経歴、由緒を申請して認められなくてはなりません。そして、認可を受けるとナンバー登録料や諸費用が控除されるのです。このような制度は、ドイツをはじめとした欧州にもありますが、自動車文化を継承するための施策として高く評価されています。日本のように、年を経るごとに税金、保険料が高くなり、「古い車は、さっさと潰せ」的な、新車を売るがための施策とは大きな違いです。当然、カリフォルニアナンバーのままで名義変更をしましたので。この「HISTORICAL VEHICLE」ナンバーのまま、”Route66”を走破します。それでは、順次、準備の進行具合をご報告いたします。
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